第二次世界大戦中、枢軸国及び協商国は映画会社と協力して「映像の力」を戦争に利用した。その力は民衆の戦意を高揚させ、戦争の勝利に向けて積極的に協力する様に扇動した。また、映像は独裁者を「神」として崇めることも可能であり、敗戦国を「悪魔」「侵略者」にすることも可能であった。また、大量破壊兵器の使用、大量虐殺についても映像によって「正当化」した。この様に「映像」は戦争を行うにあたって必要不可欠であり、かつ勝利に導く「鍵」でもあった。現在行われているウクライナとロシアの戦闘においても、より強力な映像の力によって民衆の目を誤魔化し、戦意を高揚(または反戦を強調)させ、扇動する事が容易になってきた。大戦中との大きな違いはその映像力は映画会社だけではなく、たった一人の「国民」によって作られた動画配信でも十分に事足りるのだ。今回はあらゆるプロパガンダの種類のひとつである「国家運営におけるプロパガンダ」をフィーチャーしていこう。
●「国家運営におけるプロパガンダ」の始まり
それは1920年のロシアから始まる。当時、共産主義を掲げる「赤軍」と反対勢力の「白軍」に分かれて激しい内戦が繰り広げられていた。ロシアの映画監督セルゲイ・エイゼンシュタインも「赤軍」の一人として戦地に赴く列車の中で一人の元日本語教師の士官と親しくなり、漢字の性質で「ひとつの同じ文字でも、違う部首を組み合わせれば全く意味が違う文字になる」事に興味を持ち、映画において革新的な手法「モンタージュ」理論を確立した。彼が1925年に制作した「戦艦ポチョムキン」はその代表的な作品である。
●ナチスのプロパガンダ映画
その「戦艦ポチョムキン」に感動したドイツの宣伝大臣ゲッペルスは、ナチスの一党独裁を確立しメディアを掌握すると、「戦艦ポチョムキン」の作品を参考にしたナチスのプロパガンダ映画を数多く作った。しかしその作品の中には人数を確保するために交通費、滞在費、食事は全てナチスが負担したというのもあった。集められた人達はヒトラーを支持する者としてモンタージュし、これによってヒトラーのカリスマ性を際立たせ、ナチスの入党希望者を激増させたのである。
アカデミー監督賞を3度受賞した名監督フランク・キャプラは、ナチスのプロパガンダ映画を激賞し「恐怖にかられた、勝てないと思った。服従しなければ死が待っている、そう思わせる映画だった。私は、立ち上がれないほどの衝撃を受けた」という。
ユダヤ人差別の思想も娯楽映画の中で取り入れられ、映画「ユダヤ人ジュース(ズュースとも)」は18世紀に実在したジュース・オッペンハイマーの生涯を描いた映画でその中のジュースは「守銭奴で好色な救いようのない人物」として断罪されるが、実際のジュース像は「貴族に利用されて悲劇的な最期を遂げている」のだ。ユダヤ人のジュースを「極悪人」に仕立て上げることでユダ人の差別感情を煽ったのである。ゲッペルスは「我々が望みうる限りの反ユダヤ主義映画である」と自画自賛した。
●日本のプロパガンダ映画
日本も太平洋戦争に突入すると1939年に「映画法」が成立され、国家がバックアップすることで本格的にプロパガンダ映画製作に乗り出す。長編アニメーション「桃太郎の海鷲(うみわし)」では鬼ヶ島を「アメリカ軍」に見立て、コミカルに描いた。また「ハワイマレー沖海戦」では「特撮の神様」円谷英二が1800坪の敷地に真珠湾のミニチュアセットを作り上げ、真珠湾攻撃の模様を完全再現させたのである。
●アメリカのプロパガンダ映画
アメリカもプロパガンダ映画に「参戦」する。アメリカの財務長官H・モーゲンソウは世界最高峰の映画の都「ハリウッド」を利用してプロパガンダ映画を製作し、膨大な戦費を稼ぐ作戦に出た。ウォルト・ディズニーのプロパガンダ映画「新しい精神」では人々に所得税の納税を促した。これによって所得税納税額が急増し、味をしめたモーゲンソウは今度は「戦時国債」を買わせるために映画を利用した。映画の内容は「実際の映像」だった。軍には「撮影班」が同行しており、実際の戦場の様子を撮影して国民に見せた。実際の戦場の映像は劇映画の比ではなく、国民と遠い極東の戦場との距離を一気に縮め、大々的なキャンペーンで167億ドル相当もの戦時国債を売りさばいた。
●明暗を分けた「日米プロパガンダ合戦」
太平洋戦争の戦局が進むにつれ日米のプロパガンダ映画も過熱の一途を辿った。1944年の「サイパン島陥落」で日本から移住した民間人が自決する様を日本は戦意高揚の為にプロパガンダ映画に利用し、「いかなる場合でも米英を撃滅する」ことを国民に強く頭に焼き付けさせた。アメリカは日本人全体の「狂信性」を強調するために利用した。だが、戦争末期になると日米のプロパガンダ戦に「明暗」がクッキリと表れ出す。日本は戦局が厳しくなるとプロパガンダ戦を戦う余裕もなくなり、ただ単に映像は「噓をつくための道具」と化す。台湾沖での戦闘結果で実際は惨敗しているものの、損害を隠して偽りの戦果がセンセーショナルに報道された。大本営の報告はラジオでも放送されているものの当時のラジオ局には記者などはおらず、大本営の発表をそのまま報じるため、国民に真実を伝える事は無かった。
一方、アメリカは映像も巧みになり、戦意高揚を煽っていく。映画「硫黄島を目指せ」ではアメリカ軍がすり鉢山に国旗を掲げるシーンがあるが、これは録り直して後付けした「捏造した」映像で、実際は国旗を掲げる暇もないほどの激戦で、結局写真のみで国旗も申し訳程度のものだった。
すり鉢山に国旗が掲げられた実際の写真、国旗が小さく、国民を鼓舞出来ない、と上層部は不満だった。
上層部の命令で録り直した写真。国旗は大きくいかにも勇猛だ。
その後もアメリカはプロパガンダを作り続け、フランク・キャプラが制作した「汝の敵日本を知れ」では過去に収集した日本の何でもない日常の映像を、如何にも軍需物資を作っていると思わせるように編集し、兵器の映像とモンタージュすることで日本の「狂信性」を煽りアメリカの無差別爆撃や原爆投下を正当化するために映画化したものだった。キャプラは後の取材に対して「我々が製作した映画が無ければ戦争はもっと長引いたでしょう」と語る。日本は敗戦直後も映画を作り続けたが、アメリカ軍が進駐してから、掌を返したようにアメリカを讃え、日本は侵略のために戦争をしたのだと、国民を扇動していた。特撮の神様円谷英二も、「ゴジラ」「ウルトラマン」を皮切りに生涯にわたって子供たちに平和の尊さと夢を与える作品を作り続けた、と同時に兵士が国のために命を捧げたことを忘れてはならないという思いもあった。その象徴的シーンがウルトラ作品に度々出てくる。主人公(またはエピソード中の重要人物)が自らの命と引き換えに怪獣に機体もろとも突っこんでいく「特攻精神」だ。プロパガンダ映画に関わってきた円谷ならではのシーンである。
●ドイツの最期
1945年4月に連合軍はベルリンを包囲。しかしそんな状況下にもかかわらずゲッペルスは映画を作り続けた。そして、映画「人生は続く」の製作途中でナチスは降伏。ヒトラーは防空壕で自殺し、後を追う様にゲッペルスも家族を巻き込んで自殺した。
●最後に
アメリカ、日本、ドイツ、3つの国のプロパガンダ戦は結果的にアメリカの勝利に終わった。しかし、映画の質についてはドイツが圧倒的に良かった。モンタージュ理論を巧みに使い、アメリカの名監督をうならせた。ヒトラーの「神格化」にも成功し国民を熱狂させた。それに追随してにアメリカもリアルな戦場を映し出すことで国民を戦争に向かわせた。日本も「特撮技術」で国民を翻弄した。3つの国はそれぞれの「得意技」を駆使してプロパガンダ戦を戦った。これからもプロパガンダ戦は技術革新によってより高度により難解にさせてくれる。私達が観る何気ない動画でも「プロパガンダ」は存在するのだ。これによって自身の「自我」を決して見失わない様に気を付けていきたい。
参考番組 映像の世紀 バタフライエフェクト「映像プロパガンダ戦 ~噓と噓の激突」
https://www.dailymotion.com/video/x8dic4p