九二式重機関銃-日本陸軍を支えた機関銃

 九二式重機関銃は大日本帝国陸軍の重機関銃です。日中戦争から太平洋戦争まで使われ、末期には日本本土へと迫ってくるアメリカ軍の脅威となりました。ここでは92式重機関銃とはどのようなものだったのかを紹介します。

開発の経緯

92式重機間銃.jpg、Langlebigkeit Manie、(CC BY-SA 4.0)

 大日本帝国陸軍は、第一次世界大戦頃まで、重機関銃に相当する兵器として三年式機関銃を運用していました。とはいえ、三年式機関銃は、同時期に他国で生産されている機関銃と比べると威力不足という問題点がありました。問題だったのが、口径が6.5mm弾ということです。各国の機関銃は7~8mmだったので、威力が劣っていました。そして、第一次世界大戦によって、航空機にも機関銃が搭載されるようになると、射程不足という問題も出てきます。
 こうした問題を解決すべく、陸軍航空部隊は、1929年に航空機関銃の八九式固定機関銃と八九式旋回機関銃を開発しました。これらの機関銃は口径7.7mmです。これらの機関銃を改造して、陸戦への改造を試みますが、なかなか上手くいきません。そこで、三年式重機関銃をベースに、7.7mm弾を使用できるような新たな機関銃を開発することになりました。試作品の開発は1932年に完了し、翌年にかけて試作実包の発射試験を繰り返していきました。そして九二式重機関銃として制式採用されました。
 開発が短期間で進んだのは、三年式機関銃に口径拡大が耐えられるような構造だったことが理由です。7.7mm弾を使用するということで、口径を拡大しなければなりません。その際、補強と重量が増加しますが、三年式機関銃は大型で頑丈だったのでこれに対応することが出来ました。あまりにも早く開発が完了したので、7.7mm弾自体が完成していないという事態に陥ってしまったほどです。弾薬は航空機関銃の八九式旋回機関銃を陸戦用にしました。
 三年式機関銃を元にしていたので、制式採用された翌年は三年式機関銃の改修を行うことで賄いました。これを816挺実施した後、翌年から生産から始まります。1934年に157挺が生産され、総生産数は約45,000挺となりました。

九二式重機関銃の特徴

 九二式重機関銃はほとんどの構造は三年式機関銃と同様です。例えば、弾薬塗油装置、給弾機構、給弾方式などです。一方、変更されたものもあります。まず、握把が折り畳み式に変更されました。そして、陸軍は対ソ戦を想定しており、戦場は満州(現在の中国東北部)での使用も考慮に入れなければなりませんでした。満州の厳しい寒さの中で使用する際、兵士達は厚いミトンを装着することも想定し、そのままでも使用するために、引金ではなく親指で押す押鉄式に変更されました。その際、押鉄を右に回してかける安全装置が追加されました。
 とはいえ、これで機構が変わったわけではありません。三年式の引金はシーソー式、すなわち引金を引くと圧稈が前に突き出て、逆鉤駐子(シア)を押し下げる構造になっていました。これが押金式に変わった訳ですが、逆鉤駐子を押し下げる機構は共通になっています。
 この他、追加されたものがあります。銃身に着脱できる銃口消炎器、照星と照門には暗所での照準を容易にするための夜光管が追加されました。そして、照門は凹状(オープンサイト)のものから環状(ピープサイト)のものに変更されました。
 尾筒床にはばね式の緩衝器が追加されました。これによって、射撃する際に遊底・活塞(ピストン)が後退し切った際の衝撃を緩和することが出来ます。そして、遊底・ピストンを反発力で押し戻すことで発射速度の向上を図ることが出来ました。
 九二式重機関銃の開発に合わせて、光学照準器が開発されました。九三式眼鏡照準具・九四式眼鏡照準具・九六式眼鏡照準具といったものです。実戦では主に九六式眼鏡照準具が使用されたということです。光学照準器を用いることで間接射撃も容易になりました。

九二式重機関銃の運用

 九二式重機関銃が初めて実戦投入されたのは日中戦争でのことでした。大日本帝国陸軍は歩兵中心で、日中戦争では敵となる中華民国軍も機械化が進んでいなかったので、戦場で重機関銃が活躍することになります。その後も九二式重機関銃はノモンハン事件、太平洋戦争でも活躍します。
 ヨーロッパの戦場と異なり、太平洋戦争では太平洋の島々や東南アジアのジャングルが戦場になりました。大日本帝国陸軍の戦車部隊が発達していなかったということもあり、歩兵が活躍します。
 九二式重機関銃は終戦まで活躍しました。太平洋戦争末期には日本本土へと迫り、ペリリュー、サイパン、硫黄島、沖縄と島伝いに進軍してくる連合軍を迎え撃つ武器となり、連合軍に恐れられました。
 九二式重機関銃が使われたのは、大日本帝国陸軍だけではありません。陸軍だけでなく、海軍陸戦隊にも供与されました。そして、満州国軍やインド国民軍などにも供与されました。
 太平洋戦争終結後は現地軍に他の日本軍兵器同様に接収されました。太平洋戦争終結後、アジアの各地では内戦や独立戦争が戦われますが、そこでも九二式重機関銃は活躍することになります。


参考資料
佐山二郎『小銃・拳銃・機関銃入門―日本の小火器徹底研究』光人社NF文庫、2008年。
佐山二郎『日本陸軍航空武器 機関銃・機関砲の発達と変遷』光人社NF文庫、2020年。

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