大村益次郎は幕末期に活躍した維新の十傑の一人で、新政府軍の東征大総督府補佐となり、新政府軍勝利の立役者となった。また、太政官制において兵部省初代大輔(次官)を務め、日本陸軍の創始者、陸軍建設の祖といわれる。
そんな大村益次郎だが、中で最も有名(?)なものはイタリアの銅版画家で後に幕末に活躍した主要な人物を描いたエドアルド・キヨッソーネが描いた大村の肖像画であろう。その肖像画を良く見ると、おでこが異常に広く、頭部がデカく見える。一見人間ではないような顔立ちだが、何故キヨッソーネは大村の肖像画をこの様に描いたのであろうか?
実はこの肖像画は明治2年に大村が京都で暗殺されてからしばらく経ってその功績をたたえようと、銅像を建てる話が持ち上がった時に大村の映っている写真が無く、大村の弟子の記憶を基に描いた肖像画をキヨッソーネが手直ししたものなのだ。つまり正確には「伝大村益次郎(大村益次郎と伝わっているが定かではない)像」である。ちなみに大村は大の「写真嫌い」で、更に船も洋服も嫌いなのだとか。
しかしその肖像画の信憑性はかなりのもので、「非常によく似ているばかりか、先生の精神をも表している」と称賛したほど。水戸藩の幕末志士で大村をよく知る鈴木大(はじめ)は著書「鈴木大雑集(すずきはじめざっしゅう)」という本の中で「人となり、短軀黎面(たんくれいめん)にして、大頭・広額・長眼・大耳・鼻梁高く、双眉濃(こまや)かに、髻(もとどり)を頭頂に戴(いただ)き」と詳細に大村の顔立ちを解説している。
いかがだっただろうか、この様に弟子の記憶をたどって描いた肖像画は他にも「西郷隆盛」がある。西郷の肖像画は「顔の上半分は弟の西郷従道、下半分は従弟の大山巌」で「伝西郷隆盛像」であり、彼も大村同様「写真嫌い」なのである。ちなみに明治天皇もそうである。写真は当時としては珍しい反面、日本人には奇怪に見えたのだろう。写真を撮ると「魂」も抜かれるという迷信もあることから大村、西郷、明治天皇もそれを信じた可能性が高い。
●参考文献
・Wikipedia「大村益次郎」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%91%E7%9B%8A%E6%AC%A1%E9%83%8E
・知識連鎖「大村益次郎の頭とおでこが大きすぎる肖像画、写真が無くて記憶で書いたもの 当時の評判は?」http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-6177.html
・ゆかしき世界「写真を撮ると魂が抜け出る理由」https://yukashikisekai.com/?p=125580