サボ島沖海戦は、第二次世界大戦の際、ガダルカナル島周辺で起きた海戦です。当時はガダルカナル島を巡って、日米が死闘を繰り広げていました。その最中に起きた海戦の一つです。この記事では、サボ島沖海戦はどのようなものだったのかを紹介します。
ガダルカナル島を巡る戦い
1942年8月7日、ソロモン諸島のガダルカナル島に連合軍が上陸しました。当時、日本軍はアメリカとオーストラリアを遮断しようと考えていました。1941年12月8日の開戦以来、日本軍は勝利を重ねてきましたが、オーストラリアは撤退した連合軍の反攻の拠点と目されていました。今後の戦争を有利に進めるためにも、アメリカとオーストラリアの連絡を遮断し、オーストラリアを孤立させるべきというのが、日本軍の考えでした。
この目的の下に日本海軍はニューギニア島東南岸にあるポートモレスビーや、ニューカレドニア、フィジー、サモアの攻略を進めていましたが、ミッドウェー作戦によって、空母を4隻も失い、作戦は一時中止されます。
しかし、日本軍はオーストラリアの孤立化を放棄していませんでした。そこで、ソロモン諸島の一つであるガダルカナル島に飛行場を建設し、ソロモン諸島の制空権を確保しようとします。
こうした中で、連合軍は対日反攻作戦を開始し、ガダルカナル島に上陸を開始しました。日本軍とアメリカ軍の戦いがガダルカナル島で展開されますが、日本軍は増援を送り込もうとします。制空権は連合軍に取られており、日本軍は夜間に駆逐艦による輸送作戦を展開します。その結果生じたのが、サボ島沖海戦でした。
サボ島沖海戦に至る過程
日本軍は、ガダルカナル島に重火器の輸送を計画します。そして、その支援のためにガダルカナル島近海に艦隊を送り込み、ヘンダーソン飛行場の砲撃も計画しました。計画では、日没頃にガダルカナル島飛行場から200カイリの地点に到達します。その後30ノットでサボ島南方から侵入、26ノットに減速して砲撃を行い、サボ島の南側から輸送部隊と同じ航路で離脱します。日の出近くには敵の空襲圏内から撤退することを計画していました。
これらの目的のために輸送部隊と支援部隊が編成されます。輸送部隊は水上機母艦2隻と駆逐艦6隻。支援部隊は重巡洋艦3隻と駆逐艦2隻からなります。
10月11日に輸送部隊は重火器、糧食、人員を満載して、ショートランドを出港します。支援部隊も出撃し、一路ガダルカナル島を目指しました。
しかし、同じ時期にアメリカ軍もガダルカナルに居るアメリカ軍部隊を支援するために輸送部隊を編成し、ガダルカナル島に派遣していました。航空偵察によって、日本艦隊を確認します。この時確認されたのは支援部隊でした。支援部隊の発見を受け、重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦5隻が先行します。偵察の結果、日本艦隊の発見を知らされると、日没とともに、戦闘配置を指示し、日本艦隊を待ち受けます。
サボ島海戦
ガダルカナル島に接近した日本艦隊の輸送部隊はタサファロング泊地に到着し、物資の揚陸を開始します。支援部隊は飛行場砲撃の準備を整え、サボ島の沖合に進撃しました。一方、アメリカ艦隊は日本艦隊を迎撃するためにサボ島近海を哨戒していました。
アメリカ艦隊はレーダーによって日本艦隊を捕捉しますが、レーダーを搭載していた軽巡洋艦ヘレナや重巡洋艦ソルトレイクシティからの報告は旗艦サンフランシスコには届かず、司令官は日本艦隊が接近していることを把握していませんでした。アメリカ艦隊はレーダーを搭載していましたが、混乱していました。一方、アメリカ艦隊は日本艦隊に接近し、隊列は日本艦隊との間でT字形を取ることになります。これは迎撃には理想的な隊列です。
海戦の結果、日本艦隊は重巡洋艦1隻と駆逐艦1隻が沈没、重巡洋艦1隻が大破しました。一方でアメリカ艦隊は駆逐艦1隻が沈没し、軽巡洋艦と駆逐艦のそれぞれ1隻が大破します。この海戦は、それまで日本軍が得意としていたはずの夜戦でアメリカ軍が勝利した初めての戦闘になりました。
日本艦隊は多くの艦艇を失い、飛行場砲撃は達成できませんでした。しかし、輸送任務は成功します。一方アメリカ艦隊は、海戦に勝利した上で、増援部隊の揚陸にも成功します。しかし、損害の結果、ガダルカナル島周辺海域から撤退してしまいます。このため、ガダルカナル島周辺海域では、連合軍の戦力が低下してしまい、そこに新たな日本艦隊が突入し、飛行場を砲撃されてしまうという事態を招きました。
この海戦では、日本側の情勢認識の甘さが露呈しています。敵艦隊はいないと誤認した上で作戦を行い、アメリカ艦隊の奇襲を許す結果となりました。これまでの日本海軍は夜戦に絶対的な自信を持っていましたが、海戦の結果、それが揺らいでしまいます。
一方、連合軍にとっては海戦は自信を高める結果となりました。レーダーを夜戦で用いる方式はこれまでも訓練が行われていましたが、海戦の結果はこれが間違っていないことを証明しました。アメリカ海軍は海戦の結果を誤認し、日本に与えた損害を過大に評価していました。そのことはアメリカ艦隊の士気を回復させることになりました。
主要参考資料
・サミュエル・モリソン、大谷内一夫訳 『モリソンの太平洋海戦史』光人社、2003年8月。
・防衛庁防衛研修所戦史室 『戦史叢書83 南東方面海軍作戦(2) ガ島撤収まで』朝雲新聞社、1975年8月。