タラント空襲(ジャッジメント作戦)は、1940年11月11日から12日にかけてイギリス海軍が行った、イタリアの重要軍港タラントに対する空母艦載機による空襲です。当時、北アフリカで枢軸軍と戦火を交えていたイギリス軍にとって、地中海はエジプトのアレキサンドリアやマルタ島への重要な補給路となっており、補給線を脅かすイタリア海軍は目障りな存在といえました。そこで、厄介な敵を排除するため、イギリス海軍は地中海におけるイタリア海軍の一大拠点であったタラントへの夜間空襲を行ったのです。ジャッジメント作戦と名付けられた艦載機による襲撃は絶大な効果を生み、イタリア海軍は戦艦3隻が大破着底する大損害を被りました。タラント空襲の成功により、地中海におけるパワーバランスは大きくイギリスへと傾きました。
★地中海の補給路を脅かすイタリア海軍
1940年、ダイナモ作戦によってダンケルクから撤退し、ヨーロッパ大陸から追い落とされたイギリス軍でしたが、北アフリカでは直接枢軸軍との地上戦が展開されていました。バトル・オブ・ブリテンやUボートによりイギリス本土が脅威に晒される中、イギリス国民の士気を保つため、負けるわけにはいかない戦場だったのです。しかし、北アフリカにおけるイギリスの拠点であるエジプトのアレキサンドリアへ補給を行うには、大西洋からジブラルタルを通り、地中海を抜ける必要がありました。そこには枢軸軍の一角で地中海を「我らが海(マーレ・ノストルム)」と呼ぶイタリア海軍が立ちはだかっていました。もともとフランス海軍と地中海の覇権を争っていたイタリア海軍は、イギリス海軍に対してもこの海を渡すつもりは有りませんでした。また、イタリア海軍は、北アフリカに加えて地中海の中央にあるイギリスの拠点マルタ島への補給にも脅威を与えていました。第二次世界大戦時のイタリア軍はあまりいいイメージを持たれていないことが多いですが、この時、地中海における戦力ではイギリス海軍を上回っていました。
★イギリス軍のタラント空襲計画
イタリア海軍の脅威を排除し、シーレーンの安全を確保するため、イギリス軍は地中海におけるイタリア最大の根拠地タラントを空襲し、主力艦艇を一気に仕留める計画を立てました。タラントは、長靴に例えられるイタリア半島の土踏まずの部分に位置する軍港で、1940年11月にはコンテ・ディ・カブール級やカイオ・ドゥイリオ級、新型のヴィットリオ・ヴェネト級などの戦艦に加え、ザラ級重巡洋艦など多数の艦艇が配備され、水上機基地や燃料補給のための貯油施設もおかれていました。ジャッジメント作戦と名付けられたタラントへの空襲は、実は1935年のイタリアによるエチオピア侵攻の際にも研究されていたもので、そのときは、イギリスがエチオピア戦争への不介入を決めたためにお蔵入りになっていたのです。この計画は1936年のドイツによるオーストリア併合で枢軸国との緊張が高まった際に再び注目されますが、このときも実施には至りませんでした。ですが、このとき、作戦研究を命じられたラムリー・リスター大佐は後に少将としてイギリス地中海艦隊空母戦隊司令官へと就任し、地中海艦隊司令官アンドリュー・カニンガム大将にタラント空襲の実施を提案しました。これが承認され、タラント空襲は「ジャッジメント作戦」と名付けられ、地中海におけるイギリスの輸送作戦「MB8作戦」の一環として、1940年11月11日に実行に移されました。
★ジャッジメント作戦
ジャッジメント作戦はタラント軍港の湾内に停泊しているイタリア艦隊に対し、空母艦載機による夜間の奇襲攻撃を行うといった内容でした。作戦機として選ばれたのは、複葉・帆布張りの古臭い見た目ながら、信頼性・操縦性が高く、空中戦以外はどんな任務にも使える汎用性の高さから、なんでも入る「ストリングバッグ(買い物袋)」とあだ名されたフェアリー・ソードフィッシュ雷撃機です。ジャッジメント作戦は、当初、空母「イラストリアス」「イーグル」の2隻が投入される予定でしたが、イーグルが故障に見舞われたため、イラストリアス1隻で実施されることになりました。11月11日午後8時35分、タラントの南東300km沖合を航行中のイラストリアスは攻撃隊のソードフィッシュ21機を発艦させました。第813・815・824中隊に所属する12機が第1波として海側から、第813・815・819・824中隊の8機が第2波として陸地側から、それぞれ照明弾の明かりを頼りにタラント軍港に突入する予定でした。