第二次ソロモン海戦/ガダルカナル消耗戦の始まり

第二次ソロモン海戦は、1942年8月24日、ソロモン諸島の北で発生した日本海軍とアメリカ海軍の空母部隊同士による戦いです。ガダルカナル島を巡る日米の攻防の中で起こった海戦で、アメリカ側では「東部ソロモン海戦」とも呼ばれます。日本海軍は米空母1隻を中破させたものの、空母「龍驤」を失い、ガダルカナル島への増援輸送にも失敗して敗北しています。

空母「龍驤」

★日本軍のガダルカナル島奪還作戦

 1942年6月のミッドウェー海戦で主力空母4隻を一挙に失った日本海軍は、フィジー・サモア方面を攻略するFS作戦を延期しました。しかし、オーストラリアを孤立させて連合軍から脱落させる米豪遮断の方針は変わらず、ソロモン諸島のガダルカナル島に飛行場建設を行います。そして1942年8月7日、滑走路が完成した直後に米軍がガダルカナル島への上陸作戦を開始しました。これに対する日本軍の動きは素早く、すぐさま基地航空隊による空襲を行うともに、外南洋部隊の水上艦を派遣し、ガ島奪還へ向けて動き出しました。そこで発生した第一次ソロモン海戦では重巡4隻撃沈の大戦果を上げ、米海軍を撃退することに成功しました。
続いて、一木清直大佐率いる一木支隊をガ島に上陸させます。このとき、日本軍は上陸してきた米軍の数を少なく見積もっていた上、島にいる米軍は残存部隊でガ島から脱出しようとしていると考えていたため、一木支隊の戦力でも十分ガ島を奪還できるとみていたのです。駆逐艦6隻に分乗した一木支隊の先遣隊は、8月18日夜に、ガダルカナル島東部のタイボ岬に上陸しました。

ガダルカナル島に上陸する米海兵隊

★日本機動部隊の出撃

 8月20日、ソロモン諸島の北部にあるショートランド基地を発った索敵機が、ガダルカナル島南東に米空母部隊を発見します。また、ガ島守備隊も敵艦載機の出現を知らせてきました。米海軍はソロモン方面に「エンタープライズ」「サラトガ」「ワスプ」の空母3隻を主力とした、F・J・フレッチャー中将率いる第61任務部隊をソロモン方面に進出させていたのです。そこで、日本海軍は「翔鶴」「瑞鶴」「龍驤」の空母3隻からなる第一航空戦隊を中心とした第三艦隊を派遣しました。第三艦隊は空母と護衛艦艇で構成された機動部隊と、第十一戦隊(戦艦「比叡」「霧島」)・第七戦隊(重巡「鈴谷」「熊野」)・第八戦隊(重巡「利根」「筑摩」)など戦艦・重巡で構成された前衛艦隊の2つに分かれていました。これはミッドウェーの戦訓から生まれたもので、機動部隊の前面に前衛部隊を配置することで、敵艦載機の攻撃を前衛艦隊に吸収させ、空母の被害を減らすことを目的としていました。米艦載機は空母に到達する前に必ず味方艦隊の上空を通過することになるため、ミッドウェー海戦のような不意打ちを受ける危険性はなくなります。さらに、空襲だけで敵空母を沈めることは難しいと考えられていたため、前衛艦隊は艦上機による第一次攻撃隊の攻撃開始にあわせて突撃を行い、損害を受けた敵艦隊に止めを刺す役割も担っていたのですが、囮扱いされてしまう前衛艦隊の将兵たちからはこの新戦法に対して不満の声も上がっていました。他にも、日本海軍では空母に搭載する艦載機のうち、直掩に使える艦戦の数を増やすなど、大敗に終わったミッドウェー海戦の戦訓を取り入れていました。

空母「サラトガ」
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