アレクサンドリア港攻撃は、第二次世界大戦中の1941年12月にイタリア海軍によって行われた、エジプトの軍港アレクサンドリアに対する有人魚雷による攻撃です。イタリア海軍の人間魚雷マイアーレに乗り込んだフロッグマン(潜水工作員)たちは、アレクサンドリア港に停泊するイギリス戦艦2隻に爆薬を仕掛け、大破させることに成功します。イギリス海軍は主力艦2隻が長期に渡って使用不能となり、その影響は地中海での補給や北アフリカ戦線にもおよびました。アレクサンドリア港攻撃は、第二次世界大戦でイタリアの人間魚雷が上げた最大級の戦果といえます。
★アレクサンドリア港攻撃前の状況
1941年12月、イタリアは厳しい状況に置かれていました。この時、リビア―エジプトの北アフリカでは枢軸軍と連合軍の地上戦が行われており、イタリア海軍は物資を継続的に北アフリカへ輸送する必要がありました。しかし、地中海には強力なイギリス地中海艦隊が存在しており、船団は度々襲撃を受けていました。イタリア海軍としては、なんとか地中海での安定的な物資輸送を実現したい状況でした。
一方で地中海のイギリス軍もこの時、厳しい状況に置かれていました。地中海では11月中に空母「アーク・ロイヤル」、戦艦「バーラム」が撃沈されるなど、制海権の維持が厳しくなってきていたのです。さらに12月8日には日本が第二次世界大戦に参戦し、12月10日にはマレー沖海戦で2隻の主力艦を撃沈されています。しかし、イギリス地中海艦隊としては、北アフリカ戦線での戦いを有利に進めるためにも、地中海の制海権を維持する必要があったのです。
このような状況下の1941年12月19日、イタリア王立海軍は、北アフリカにおけるイギリス地中海艦隊の拠点であったエジプトのアレクサンドリア軍港に対する攻撃作戦を実施しました。なお、イタリア海軍によるアレクサンドリア港への攻撃は、1940年8月にも行われていますが、このときは母艦の潜水艦が撃沈されて失敗しています。
★イタリア海軍の人間魚雷「マイアーレ」
アレクサンドリア港攻撃に使用されたのは、低速走行型SLC「マイアーレ」と呼ばれるイタリア海軍の開発した人間魚雷でした。人間魚雷というと、日本海軍の回天のように、乗員が内部に乗り込むタイプがイメージされますが、マイアーレの場合は、潜水服を着用した乗員が本体に跨って乗り込みます。マイアーレは訓練を受けた潜水コマンド2名によって操縦されます。敵港湾内に侵入後、乗員は取り外した時限式弾頭を目標に取り付けると、再びマイアーレに乗り込んで脱出し、その後爆破を行います。マイアーレは回天のような自爆兵器ではなく、乗員は脱出することが前提になっていました。マイアーレとは「豚」の意味で、開発者であるテセオ・テゼイ技術大尉が訓練時、隊員たちに「その豚にしがみつけ!」と言ったことに由来します。
マイアーレは第一次大戦でラファエル・ロゼッティ技術少佐によって開発された実験兵器が原型になっており、ロゼッティ少佐自身、1918年10月にオーストリア海軍のポーラ軍港に侵入し、戦艦「フィリブス・ウニティス」を撃沈することに成功しました。マイアーレは80機以上が生産され、「チャリオット」の名前で鹵獲品がイギリス軍でもコピーされています。第二次世界大戦でマイアーレは1941年3月に編成された第10MAS(デチマ・マス)部隊で運用され、9月に行われたスペインのジブラルタル軍港への潜入作戦では、輸送船やタンカー3隻を撃沈する戦果を上げています。