三式潜航輸送艇(マルゆ)/陸軍が運用した潜水艦

三式潜航輸送艇は、日本陸軍が開発した輸送用の潜水艦で、通称「マルゆ」としても知られています。敵機の空襲や潜水艦の襲撃により輸送船が沈められ補給が滞るようになった日本軍では潜水艦を使用して輸送を行うようになりますが、海軍の潜水艦だけでは数が不足していました。そこで建造されたのが三式潜航輸送艇です。三式潜航輸送艇は、レイテ島の戦いで実戦に投入されたほか、日本本土近海での輸送任務にも従事しています。

建造中の三式潜航輸送艇(マルゆ)

★三式潜航輸送艇開発の経緯

 三式潜航輸送艇は日本陸軍が開発した輸送用の潜水艦で、輸送の頭文字をとって「マルゆ」とも呼ばれます。陸軍が潜水艦を運用するのは世界的にも珍しいことですが、日本陸軍が独自に潜水艦開発を進めた背景には、太平洋戦争の島嶼戦における補給の問題がありました。ガダルカナル島やニューギニアの戦いでは、敵機の空襲や潜水艦の襲撃によって輸送船が被害を受ける例が相次ぎ、海上輸送による補給が滞るようになっていました。それを解決するために潜水艦を使ったモグラ輸送が実施されるようになりますが、海軍の潜水艦も数が限られているため輸送任務のみに使用するわけにはいかず、海軍としても潜水艦を本来の任務である艦隊攻撃に専念させたいのが本音でした。しかし、太平洋戦線では連合軍に制海権・制空権を握られ、潜水艦以外では補給が難しい島嶼も存在していました。そのため、陸軍は自分たちで独自に輸送用の潜水艦を開発し、輸送の問題に対処することを決定します。こうして、世界でも稀な陸軍潜水艦、三式潜航輸送艇の開発が始められることになりました。三式潜航輸送艇は、陸軍が積極的に潜水艦を保有しようとしたものではなく、補給の問題を解決するため、やむにやまれぬ理由から建造された兵器といえます。

★三式潜航輸送艇のもとになった西村式豆潜水艇とは

 三式潜航輸送艇を開発するにあたって設計のベースの1つになったのが、民間で開発された小型潜水艇である「西村式豆潜水艇」です。西村式豆潜水艇は、西村深海研究所の西村一松氏によって珊瑚や真珠の採取用に開発されました。400メートルまで潜航可能な世界初の深海作業用潜水艦で、1943年に柱島泊地で爆沈事故を遂げた戦艦「陸奥」の調査にも使用されています。西村式豆潜水艇は、太平洋戦争がはじまってからは陸軍に提供され、日本海で水中聴音器や探雷機、水中探信機の研究に利用されていた経緯があり、三式潜航輸送艇の開発にあたっても西村氏や西村深海研究所が協力しています。西村式豆潜水艇は、陸軍兵に対する操縦訓練用の潜水艦としても使用されました。西村式豆潜水艇は、終戦後、陸軍の兵器の1つとみなされたため、三式潜航輸送艇とともに米軍により爆破・解体処分にされています。

西村式豆潜水艇
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