リンドバーグvsルーズベルト ~ 世界の命運をかけた大論争~

今から80年前、世界の命運を左右する大論争が起きようとしていた。1927年5月20日、当時郵便飛行士だった25歳のC・リンドバーグは、ニューヨーク~パリ間約6000㎞に及ぶ「大西洋無着陸横断」の飛行に成功し、世界の航空産業の歴史に名を刻み「アメリカの英雄」となった。その6年後、F・ルーズベルトはニューヨーク上院議員、アメリカ海軍次官、ニューヨーク知事を経て第32代アメリカ合衆国大統領に就任した。この2人、一見すると無関係に見えるかも知れないが、後に第二世界大戦においてアメリカが参戦するか否かについて「運命の激論」を交わすようになる。

C・リンドバーグ F・ルーズベルト

●第1R(航空郵便)

激論の「緒戦」は1934年に起きた「ある出来事」だった。それは当時普及していた「航空郵便」でルーズベルト大統領は民間航空会社の認可をを一方的に取り消し、「陸軍航空隊」に担当させると発表。すると、当時航空会社の顧問を務めていたリンドバーグは「陸軍のパイロットは、夜間や悪天候での飛行経験が少なく危険で、アメリカの航空界全体に無意味かつ甚大な損害をもたらすだろう」と真っ向から反論した。一方、ルーズベルト大統領は「あのブロンドの人気者は我々が何とかする」と意に介さなかった。しかし、陸軍航空隊はルーズベルト大統領の意向に反し度々事故を起こし、4か月間で66件、12人が死亡。ルーズベルトは民間航空会社との再契約を余儀なくされ、結果、リンドバーグの「勝利」に終わった。ここから、リンドバーグの「政治的発言力」が一気に高まる。

●第2R(第二次世界大戦前夜)

一方でヨーロッパではナチス政権が躍動し、1935年にヴェルサイユ条約を破って再軍備を宣言、軍事力を増強し始めた。アメリカは謎に包まれたドイツの軍事力を探るために世界的名声のあるリンドバーグをドイツに派遣し、逐一報告するよう要請した。ドイツは本来、軍事施設の立ち入りは許されていなかったが、ドイツ空軍総司令官H・ゲーリングは「リンドバーグなら」と立ち入りを許可した。リンドバーグはドイツの空軍力を高く評価し、恐れを抱いていた。そして、これを機にリンドバーグはナチスとの関係を深めていくようになる。ベルリンオリンピックの開会式に来賓として出席、ドイツ訪問は3年間で6回にも及び、1938年にドイツに貢献した外国人に対して贈る勲章「ドイツ鷲勲章」を授与される。一方でルーズベルトは、ヒトラーを強く警戒しシカゴの演説で「世界の平和維持のためにヨーロッパ情勢に介入すべきだ」と国民に訴えた。大統領としてのこの演説は「異例」だったが、第一次世界大戦でイギリスやフランスを助けるために参戦し、勝利はしたものの10万人以上の犠牲を出し、その殆どが若者で戦線に出す後悔の念が強く、アメリカ国内では「厭戦感情(戦いを避けようとする感情)」が強かったため、大バッシングを受けることになる。更に資本家達もドイツの大躍進に便乗してGM(ゼネラルモーターズ)やスタンダード石油など100を超えるアメリカ企業がドイツに参入。ヨーロッパ市場で巨額の利益を得ていたのである。今まで世界恐慌で辛酸を舐めてきた多くの大企業にとってドイツは巨万の富を得る「近道」であり、業績を上げるためには当然の流れと言えよう。そしていつの間にかルーズベルトに付いて行く者など誰一人としていなくなったのである。そのことをルーズベルトは「ゾッとした」と回顧している。

1939年、ルーズベルトはリンドバーグをホワイトハウスに招く。アメリカの航空戦力のアドバイザーを依頼するためだ。2人が直接顔を合わせるのはこれが初めてでナチスドイツの姿勢が異なる2人の対談にメディアは注目する。しかし、ルーズベルトはリンドバーグに極めて友好的に振る舞い、当たり障りのない対談、所謂「歓談(楽しく語り合うこと)」に終始した。リンドバーグは後の回想で「ルーズベルトが歓談する態度に不信な点があり、この関係は長続きしないのではないかと思った」という。結局この対談は「引き分け」に終わった。

●第3R(開戦)

1939年9月、ナチスのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が勃発した。イギリスはアメリカに戦争協力を求める。ルーズベルトはドイツの勢いを止めるため、武器を輸出するなど、戦争に加担するようになる。ルーズベルトは自分の行いに対し、国民に理解を求めた。しかし、公然とそれに異を唱える者が現れた。リンドバーグである。リンドバーグはルーズベルトに敵対する態度を明確に打ち出した。リンドバーグは「アメリカが戦争に加担すると我々に致命的な結果を招く」「彼ら(ルーズベルト政権)の能力や判断は信用できない」と声明した。冒険家らしからぬリンドバーグの堂々たる演説は国民の心を掴み、当時の世論調査でも「イギリスへの軍事支援に賛成」する人は16%に留まった。一方でドイツと対戦しているイギリス・フランス連合軍はアメリカから十分な支援が得られず劣勢となり、フランスはパリを占領され降伏し、イギリスは夜間にロンドンを爆撃。さらにイギリスはアメリカから武器を買い入れる資金をも枯渇した。チャーチルは再三にわたりルーズベルトに支援を要請する。この悲惨な状況は流石にアメリカ国民にも衝撃を与え、イギリスへの支援賛成が急増した。ルーズベルトはドイツとの直接対決に備えて1940年に「選抜徴兵法」を成立させるなど防衛力強化に乗り出す。しかし、戦争に反対する国民も少なくなく、常にその先頭に立ったのがリンドバーグであった。リンドバーグはシカゴの演説で「ドイツとの融和」を力説し「この戦争が終わった後、(ドイツが率いる)ヨーロッパとどんな関係を築くべきかを考えるべきだ」と説いた。ルーズベルトはリンドバーグの演説を「ヨーゼフ・ゲッペルス」になぞらえ、「民主主義への信頼を捨て、ナチズムに賛成するとは哀れだ」と嘆いた。戦争不介入を掲げていた共和党はリンドバーグを大統領選挙の候補として打診。大統領としては異例の「3期目」を目指すルーズベルトの「大きな壁」として期待した。しかし、リンドバーグは再三の打診も断り続けた。結局ルーズベルトは3期目に当選し更なるイギリス支援策を打ち出す。それが、「レンドリース法」であり、大統領の権限で無償で武器を貸し与えられるというものだった。「我々は民主主義の『兵器廠』となるべきだ」ルーズベルトはそう言った。戦争終結までに300億ドル相当の軍需物資をイギリスに供与した。そのおかげでイギリスは窮地を脱した。

 レンドリース法に署名するルーズベルト

しかし、リンドバーグの影響は未だ衰えず、ルーズベルトはリンドバーグに本格的な「口撃」をする。イッキーズ内務長官がリンドバーグに対し「リンバーガー(臭いバーガー)」と糾弾し、激怒したリンドバーグは1941年、空軍大佐を辞任した。しかし、「大佐の地位は返上してもナチスの勲章は返上しないのか?」と「口撃」が激化、身内からも「ナチスとの関係を否定すべきだ」と警告するもリンドバーグは公聴会で明確なナチス批判はしなかった。そして、アイオワ州デモインでの演説でアメリカ中を敵に回す致命的なミスを犯す。リンドバーグは「アメリカを戦争に導く3つの勢力」について「イギリス・ユダヤ人・ルーズベルト」と説いたが、その一つである「ユダヤ人」の批判についてはナチス総統ヒトラーの「常套句」であり、ナチスによるユダヤ人迫害はアメリカにも知れ渡っていた。リンドバーグはこの演説でブーイングを浴びせられ「ファシスト」「差別主義者」と見なされ、「アメリカの英雄」の名声は砕かれた。これが決定打となり、第3Rの結果はルーズベルトの勝利に終わった。

リンドバーグの名声が地に落ちた以上、もはやルーズベルトを邪魔する者はいなくなった。この時点では参戦には懐疑的な態度を見せたものの、日本の真珠湾攻撃によって「リメンバーパールハーバー」の名の下にドイツ・日本に宣戦を布告し、それに追随してアメリカの企業もドイツからアメリカに移って軍需工場を建て、圧倒的な物量でドイツ・日本を壊滅せしめたのである。しかしルーズベルトはドイツの敗戦を見届けることが叶わず、1945年4月12日、脳卒中で死去。名声が地に落ちたリンドバーグはルーズベルトの死後、1954年に特別顧問として空軍に復帰し名誉を回復した。1974年に72歳で死去した。

リンドバーグvsルーズベルトの激論の戦いは両者1勝1敗1分の五分に終わった。しかしこの戦い、私の見解では例えリンドバーグがデモインでの失言が無かったとしても、歴史はさほど変わっていなかっただろう。リンドバーグが大統領選に立候補していたとしてもだ。その理由は「真珠湾攻撃」であり、「大祖国戦争(独ソ戦)」である。アメリカはヨーロッパ戦線に参戦しなくても日本との参戦はするだろうし、ソ連もアメリカに引けを取らない物量でヨーロッパ戦線を圧倒するだろうからいずれにせよドイツは降伏する運命にあるかも知れない。

・参考番組 NHK 映像の世紀バタフライエフェクト「ルーズベルトvsリンドバーグ~大戦前夜アメリカは参戦すべきか~」

https://www.nhk.jp/p/ts/9N81M92LXV/episode/te/EY12614XJJ/

・Wikipedia「チャールズ・リンドバーグ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B0

・Wikipedia「フランクリン・ルーズベルト」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88

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乱太郎
乱太郎
2022年10月7日 4:50 PM

訂正
誤:イギリスはロンドンを爆撃し···
正:ドイツはロンドンを爆撃し···

訂正してお詫びします。🙏