★栗田艦隊、米護衛空母艦隊と遭遇
10月25日、敵の攻撃により栗田艦隊の進撃は大幅に遅延しており、本来ならタクロバンへの突入を行っているはずのこの時点で、サマール島の東をレイテ湾へ向けて南下していました。
サマール海でもシブヤン海同様に敵機の空襲が予想されたため、栗田艦隊は午前6時20分から厳重な対空警戒をとり、戦闘準備を整えていました。すると6時45分、戦艦「大和」の見張り員が距離37キロの水平線上に、敵艦のマストらしきもの7本を発見します。どうやら敵艦は空母らしく、飛行甲板と発進する艦載機の姿も確認できました。日本海軍にとって大本命である米空母部隊と巡り合わせた幸運に、栗田提督と幕僚らは大きく湧いたといいます。この天祐的戦機を逃さないよう、6時53分、栗田艦隊の全艦艇は速力24ノットに増速し、全力で敵の追尾にかかりました。このとき、日本側では相手を米海軍の高速正規空母と判断していたのですが、実際には速度の遅い護衛空母で、残念ながら栗田艦隊が求めていた獲物ではありませんでした。
★動揺する米護衛空母部隊
栗田艦隊が遭遇したのはアメリカ海軍第77任務部隊第4群第3集団(タフィ3)で、カサブランカ級空母6隻と駆逐艦で編成された護衛空母部隊でした。艦載機からの報告で日本海軍の大艦隊が近づいていることを知ったタフィ3の司令官クリフトン・スプレイグ少将は、思ってもいなかった敵との遭遇に大きく動揺しました。相手は戦艦まで擁する強力な部隊であり、このまま戦闘になれば全滅の恐れもあります。まさかこんなところに敵がいるとは思っていなかったのです。6時48分、タフィ3は全速力の17ノットに増速し、東へ向けて離脱を図りました。57分からは、空母を守るため駆逐艦が煙幕の展張を行います。しかし、その直後、6時59分に戦艦「大和」の46センチ主砲が火を吹き、日本艦隊による砲撃が開始されました。
★サマール沖海戦 戦艦「大和」の初砲撃
栗田提督の命により全軍突撃をはじめた日本艦隊は、砲撃によって敵艦を仕留めるため米空母群への接近を開始するとともに、戦艦「大和」以下「長門」「金剛」「榛名」の各艦艇が主砲を発射しました。「大和」「長門」にとっては敵艦に対する初めてとなる砲撃で、日本海軍が誇る「大和」の46センチ砲が初めて敵に向かって火を吹いた瞬間でもありました。日本海軍では着弾観測を容易にするため、砲弾に各艦で異なる色の染料を入れており、米艦隊の周りには米軍が「テクニカラー」と呼ぶ、赤・黄・紫など色とりどりの水柱が立ち上り、米海軍の将兵らを恐怖させています。米護衛空母「ホワイト・プレーンズ」に狙いを定めた「大和」は、32000メートルの距離にもかかわらず初弾から夾叉を得たといわれるほど高い射撃精度を誇り、米海軍からも「砲術士官が望みうる最高の弾着」と高く評価されています。しかし、その後はなかなか命中弾を得ることができず、米海軍に測距は正確でも修正は下手ともいわれています。これは相手が護衛空母とはいえ、艦載機を有する空母であったため、栗田艦隊には制空権がなく、弾着観測が十分でなかったことが関係しています。ですが、「大和」の猛烈な射撃は「ホワイト・プレーンズ」に至近弾を与え、一時的に操舵不能にしました。これによって、「ホワイト・プレーンズ」が落伍したと判断した日本艦隊は次の目標を「セント・ロー」に移し、7時5分にはこちらにも夾叉を得ています。しかし7時6分、米護衛空母群は運よくスコールの中に逃げ込むことができ、米駆逐艦も空母を逃がすため煙幕を展張して必死の防戦を行いました。このため栗田艦隊は一時的に目標を見失い、米空母部隊はスコールを出るまでに日本艦隊を大きく引き離すことに成功します。さらに、各空母は隙をみて艦載機を発艦させると日本艦隊への妨害攻撃を実施しました。スプレイグ少将の全機発艦の命令により、6隻の空母から95機が発進します。米軍パイロットらは勇敢で、単機または数機ごとに分かれて突撃し、機銃や爆弾、ロケット弾などあらゆる武器を使って攻撃しました。緊急のため爆弾を積まずに出撃した爆撃機は急降下爆撃のふりをしたり、弾を撃ち尽くした後は機銃掃射のふりをすることもありました。艦上の乗組員には死傷者が相次ぎ、日本艦隊の動きを牽制する効果をもたらしました。
★駆逐艦ジョンストンの勇戦
艦載機の攻撃に続き、7時16分には米駆逐艦も栗田艦隊に向けて突撃を開始します。なかでも、アーネスト・エヴァンス中佐が指揮する駆逐艦「ジョンストン」は屈指の勇戦をみせました。煙幕を展張したジョンストンは日本艦隊に肉薄して砲撃と雷撃を行い、7時27分に第7戦隊旗艦であった重巡「熊野」の艦首に魚雷を命中させて戦線から離脱させました。さらに、ジョンストンが「羽黒」に向けて放った魚雷は外れたものの、「大和」「長門」の両艦に接近し、両側を魚雷に挟まれる格好となった2隻は、戦場と反対側の北へ向けて航走しなければならなくなりました。こうして、ジョンストンは戦艦2隻を事実上戦力から脱落させることにも成功しています。我が身の損害も顧みず、果敢に戦い続けるジョンストンでしたが、自らも戦艦「金剛」からの砲撃を受け、機関室とボイラー室に大損害を受けます。それでもジョンストンの闘志は折れることなく、一時スコールに身を隠してやりすごし、再び戦場に戻ってきました。しかし、軽巡「矢矧」や駆逐艦による集中砲撃を受けてしまい、最期には撃沈されて艦長のエヴァンス中佐も戦死しています。
★奮戦する米艦隊と思わぬ損害を受ける栗田艦隊
栗田提督が8時に「全軍突撃せよ」の命令を発すると、海戦はさらに激しさを増し、米艦隊にも被弾する艦艇が相次ぎます。7時50分にファンショー・ベイが米艦隊のなかで初めての命中弾を受け、その後カリニン・ベイも命中弾を受け、ファンショー・ベイが次々と被弾していきます。さらに8時10分には、米艦隊に接近した重巡部隊と戦艦「金剛」からの砲撃によりガンビア・ベイが沈没。「金剛」はこの海戦で唯一敵に接近して砲撃を行うことができた戦艦で、重巡部隊とともに猛攻を加えました。8時55分には駆逐艦ホーエルを損傷させ、9時35分には「金剛」の砲撃によって護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツを撃沈しています。しかし米艦隊の抵抗も激しく、栗田艦隊は戦力では圧倒的有利にありながら、思ったほど敵に損害を与えることができず、逆に味方艦艇も損害を受けることになりました。7時30分には米軍機の至近弾により重巡「鈴谷」が戦線から落伍し、8時51分には「鳥海」が、53分には「筑摩」が同様に、敵機の爆撃・雷撃により損害を受けて落伍しています。残った艦艇は依然として米空母群と交戦していましたが、9時には追撃を行なっている艦艇は「金剛」「羽黒」「利根」の3隻にまで減っていました。さらに、「金剛」もサミュエル・B・ロバーツとの戦闘によってタフィ3から離れると、残りは重巡2隻になってしまいます。一方、戦艦「大和」の栗田提督は「大和」が一時、敵艦隊から離れたこともあって戦況の把握が不十分になっており、艦隊を掌握できない状況に陥っていました。その上、米空母群はすでに戦場から離脱しようとしており、レイテ湾への突入を優先する必要性や艦隊の燃料消費などを鑑みた栗田提督は、これ以上の追撃はレイテへの突入を遅らせるだけで戦果にも結び付かないと判断しました。9時11分、栗田提督は艦隊に対し「逐次集れ」を下令し、これをもってサマール沖海戦は終結することになりました。追撃を行っていた日本艦艇の艦長や指揮官らはこの命令に反発を覚え、日本艦隊が引き上げていくのを見た米艦隊は驚くとともに大きく安堵しました。
★栗田艦隊はなぜ大勝利を得ることができなかったのか
サマール沖海戦で栗田艦隊は護衛空母1隻・駆逐艦2隻・護衛駆逐艦1隻を撃沈し、護衛空母2隻・駆逐艦1隻・護衛駆逐艦1隻に損害を与える戦果を上げています。しかし、その代わりに重巡4隻が損害を受けており、戦力的には有利な立場にありながら、決定的な勝利を得ることはできませんでした。この原因としては、米護衛空母部隊が必死の奮戦を見せたことや、栗田艦隊の将兵が疲労状態にあったことなどに加え、戦場の制空権はアメリカ側が握っており、敵機の妨害による制約を受けて思うような砲戦が行えなかったことがあげられます。被害を受けた重巡4隻のうち、「鳥海」「筑摩」「鈴谷」の3隻が水上艦ではなく、敵機の攻撃によるものであったことはそれを物語っているといえるでしょう。世界最大の戦艦「大和」のように強力な水上艦戦力をもってしても、本来の実力を発揮できないのが太平洋戦争における海戦であり、不本意といえる結果に終わったサマール沖海戦も制空権を失った栗田艦隊にとってはこれが限界であったという事かもしれません。そしてこの海戦の数時間後、栗田艦隊は後に大きな論争を残す「謎の反転」を実行し、レイテ湾への突入は幻となりました。