サマール沖海戦/アメリカ護衛空母部隊の奮戦

サマール沖海戦は、1944年10月25日に起きた日米海軍による海戦で、アメリカのフィリピン奪還作戦に際して発生したレイテ沖海戦における戦いの1つです。日本海軍は捷一号作戦を発動し、複数の艦隊が別々にレイテ湾に向けて進撃していました。サマール沖海戦はその途中で戦艦・巡洋艦を中心とする日本水上艦部隊が米護衛空母部隊と遭遇し、日本側はこれを米軍の正規空母部隊と判断して攻撃したことで発生しました。この海戦では、日本海軍が誇る世界最大の戦艦「大和」の主砲が初めて敵に向かって発射されましたが、戦力的には有利だったにもかかわらず、日本艦隊は決定的な勝利をおさめることはできませんでした。

レイテ沖海戦図 日米艦隊の航路 (commons.wikimedia.org/wiki/File:レイテ沖海戦図A3.svg)

★米軍のフィリピン上陸と日本海軍の捷号作戦

1944年10月17日、アメリカ軍はフィリピンを奪還するためキングⅡ作戦を発動し、レイテ島への上陸を開始しました。これに対し、日本海軍は18日に捷一号作戦を発動させ、連合艦隊の全戦力をもって米軍を迎え撃つことを決めます。捷一号作戦は、空母機動部隊が囮になって敵を引き付け、その間に水上艦部隊がアメリカ上陸部隊のいるレイテ湾に殴り込みをかける計画で、大切な空母をあえて囮に使った乾坤一滴の反撃作戦でした。小沢治三郎中将率いる小沢艦隊が囮になり、3つに分かれた水上艦部隊がそれぞれ別のルートからレイテ湾を目指します。水上艦部隊の中心となるのが栗田健男中将率いる栗田艦隊で、多数の戦艦・巡洋艦から編成されており、そのなかには日本海軍が誇る世界最大の戦艦「大和」「武蔵」も含まれていました。

レイテ島に上陸したアメリカ軍

★栗田艦隊を襲う災難 潜水艦の襲撃とシブヤン海海戦

1944年10月22日、戦艦5隻に巡洋艦12隻、駆逐艦15隻の堂々たる戦力を擁する栗田艦隊は、ボルネオ島ブルネイ泊地を出撃します。しかし、栗田艦隊の進撃は順調なものとはいきませんでした。出撃後すぐに通過したパラワン水道で米潜水艦と遭遇してしまい、艦隊旗艦であった重巡「愛宕」に加えて「摩耶」が雷撃により沈没。さらに、「高雄」も損傷して引き返すことになりました。栗田艦隊はいきなり重巡3隻の戦力を削がれ、旗艦も第一戦隊旗艦の戦艦「大和」へと移すことになります。また、敵に存在を知られてしまったことから、シブヤン海通過時に米軍空母艦載機による執拗な空襲を受けました。このシブヤン海海戦では大和型戦艦2番艦「武蔵」が撃沈されます。このとき、栗田艦隊は一旦反転するふりをして米軍の目を欺き、また引き返してレイテ湾への進撃を開始していました。これによって一時的に空襲から逃れることはできたものの、その戦力は10月24日夜の時点で戦艦4隻・巡洋艦8隻・駆逐艦11隻に減少していました。

ブルネイを出撃する栗田艦隊

★サマール沖海戦 日米両軍の参加兵力

<日本海軍>
●第一遊撃部隊 第二艦隊(栗田健男中将)
・第一部隊
戦艦「大和」「長門」
重巡「羽黒」「鳥海」
軽巡「能代」
駆逐艦「早霜」「秋霜」「岸波」「沖波」「朝霜」「長波」「浜波」「藤波」「島風」
・第二部隊
戦艦「金剛」「榛名」
重巡「熊野」「鈴谷」「利根」「筑摩」
軽巡「矢矧」
駆逐艦「野分」「浦風」「磯風」「雪風」

ブルネイに停泊する戦艦「長門」

<アメリカ海軍>
●第77任務部隊第4群第3集団(クリフトン・A・F・スプレイグ少将)
護衛空母「ファンショー・ベイ」「セント・ロー」「ホワイト・プレーンズ」「カリニン・ベイ」「キトカン・ベイ」「ガンビア・ベイ」
駆逐艦「ホーエル」「ヒアマン」「ジョンストン」
護衛駆逐艦「デニス」「ジョン・C・バトラー」「レイモンド」「サミュエル・B・ロバーツ」

護衛空母「ガンビア・ベイ」
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