クルスクの戦い／「史上最大の戦車戦」

★ソ連軍の作戦計画

 ドイツがツィタデレ作戦を計画していた頃、ソ連軍もクルスクへの攻撃を近いことを予測していました。クルスク突出部への攻撃は軍事的合理性に基づいた作戦でしたが、それだけに敵であるソ連軍にも読まれやすく、ソ連軍は北部に3個軍、南部に3個軍、後方に予備として3個軍を置き、守りを固めていました。また、ソ連軍が有する戦車は約5100両でドイツ軍の2倍になっていました。さらにソ連軍はパルチザンや諜報機関の活動により、ドイツ軍の戦力や作戦実施の時期をほぼ正確に掴んでいます。
 ソ連軍はドイツの強力な戦車に対抗するため「パックフロント」と呼ばれる対戦車陣地を構築し、大量の対戦車砲や対戦車障害・トーチカ・鉄条網・地雷などを組み合わせた濃密な縦深防御陣地を形成、これによりクルスク突出部は強力な陣地帯となっていました。さらに、クルスクへの限定的な攻撃だけで手一杯だったドイツ軍と違い、ソ連軍は作戦術を用いてクルスク戦後の反撃作戦まで計画していました。作戦術とは、作戦と戦略を結び付けて戦役とする軍事思想のことです。ソ連軍はクルスクへの攻勢を撃退することはもちろん、それを一度きりの勝利に終わらせるつもりはなく、そのままハリコフ奪還やドニエプル河への進撃を目指す大規模な夏季攻勢とつなげていく構想をもっていたのです。

★ツィタデレ作戦発動

 ツィタデレ作戦は、新鋭戦車のⅤ号戦車パンターの投入やチュニジアの枢軸軍降伏の影響を受けて何度かの延期を繰り返したのち、1943年7月5日に発動されます。このとき、先手をとったのはドイツ軍ではなくソ連軍でした。ソ連空軍はドイツ軍の飛行場に奇襲攻撃をかけ、砲兵部隊はドイツの機先を制するため大規模な準備射撃を実施しました。しかし、空軍はドイツ軍のレーダーに探知されて迎撃を受け大損害を蒙り、砲撃もドイツ軍の作戦開始時間に関する情報が間違っていたため無駄撃ちに終わります。制空権は自動的にドイツ軍のものとなり、ドイツ軍はポーランド戦やフランス戦での総弾薬量を上回る強力な砲撃の支援を受け、クルスクへの前進を開始しました。

★クルスク北方の戦い

 クルスク北部ではモーデル将軍に率いられた第9軍が攻撃を開始します。しかし中央軍集団の攻撃にはある問題がありました。ソ連軍陣地に戦車部隊を突入させると大損害が出ると考えたモーデルが慎重策をとっていたのです。攻撃の第1波は歩兵部隊が主力で装甲師団は1個しか投入されず、戦車部隊は第2波で歩兵が切り拓いた敵防衛線の傷口を広げ、戦果を拡大することとされていました。これには、中央軍集団の側面に強大なソ連のブリャンスク方面軍が存在していたため、万一攻撃を受けた時のために戦力を温存しておく必要があったことも関係しています。しかし、歩兵主体となった第9軍の攻撃は低調なものとなり、作戦初日には10キロほど進撃できたものの、その後はほとんど前進することができなくなりました。ここでモーデルはようやく切り札の装甲師団を戦線に投入して、クルスク北方のポヌイリから攻撃を仕掛けます。しかし、すでにドイツの攻勢は完全にソ連軍に阻止されており、第9軍が大突破を行い南方軍集団と手を結ぶ見込みはなくなっていました。さらに、7月12日には警戒していたブリャンスク方面軍がオリョールへの攻撃を開始し、とてもクルスクへの進撃を行える状態ではなくなってしまいます。こうして、北部におけるツィタデレ作戦は大した戦果を上げることもなく、ソ連軍の攻勢によって潰えたのです。

★クルスク南方の戦い

 まったく振るわなかった中央軍集団に対して、南部を担当する南方軍集団の進撃は比較的順調でした。南方軍集団は3個SS装甲擲弾兵師団を含むパウル・ハウサーSS大将の第2SS装甲軍団やグロースドイッチュラント(大ドイツ)装甲擲弾兵師団など強力な部隊をもっていました。このほか、最新のⅤ号戦車パンターを装備する第51および第52戦車大隊もありましたが、パンター戦車は実戦配備を急いだために初期不良が相次ぎ、期待された活躍を見せることはできませんでした。しかし、強力な戦車部隊に支えられた南方軍集団は初日で最大25キロもの進撃速度を発揮し、9日には第4装甲軍がソ連軍の第一線および第二線陣地突破に成功しています。慌てたソ連軍は予備部隊を投入してドイツ軍の突破を食い止めることを決定し、ヴォロネジ方面軍司令官ニコライ・ヴァトゥーチン上級大将による反撃作戦が実施されます。しかし、ソ連軍の反撃は失敗に終わり、プロホロフカ付近で行われた戦車戦ではロスミストロフ中将率いる第5親衛戦車軍が壊滅状態になりました。この戦いはソ連軍の戦車損失235両に対してドイツ軍はたったの3両で、キルレシオ78対1というドイツ軍の圧倒的な勝利でした。

 このままいけば南方軍集団だけでもクルスクへ到達し、突出部を切り崩すことも可能と思われました。しかし、7月10日、連合軍がシチリアに上陸したことで、ドイツ軍はもはやクルスクに構っている余裕はなくなります。7月13日、ヒトラーはクルーゲとマンシュタインを呼び出し、ツィタデレ作戦の中止を命じました。マンシュタインはなおも攻撃続行を訴えますが、7月17日からはソ連軍がイジュムとミウス河でも攻勢を開始し、これに対応しなければならなくなったドイツ軍にはもはや攻勢は不可能になります。ツィタデレ作戦は失敗してクルスクの戦いはドイツの敗北に終わり、ドイツ軍はこの後、ソ連軍の大規模な攻勢に晒され、東部戦線におけるイニシアティブを失っていきました。

 ツィタデレ作戦はドイツ軍が東部戦線で持てる兵力の大部分を投入した大規模な攻勢でしたが、クルスクの戦いがすべてであったドイツ軍に対して、ソ連にとってのクルスク戦は反撃への第一歩でしかなく、ソ連軍はドイツの攻勢を受け止めた上で他の場所での反撃を考えていました。ソ連軍はクルスクに兵力を集中しながら、さらに他の場所でも攻勢に出るだけの余裕があり、戦力的にも戦略的にもドイツ軍に優越していたといえます。独ソ両軍のパワーバランスをみれば、ツィタデレ作戦が失敗に終わったのもやむを得ないことといえるでしょう。