珊瑚海海戦/戦術的勝利と戦略的敗北…ミッドウェー海戦の前哨戦?

珊瑚海海戦は1942年5月に、ポートモレスビーを攻略するためオーストラリア北東の珊瑚海に進出した日本海軍と連合国海軍の間に起こった、史上初となる空母対空母による海戦です。日米両軍の空母部隊は水平線の遥か向こうにいる姿の見えない敵を相手に、お互い艦載機を飛ばし合い、それまでの海戦の常識とは大きく異なる戦いを繰り広げました。日本軍が米空母「レキシントン」を撃沈する戦果を上げていますが、日本側も大きな損害を受けてポートモレスビー攻略作戦は延期され、戦略的には日本軍の進行作戦を防いだ連合軍の勝利とされます。

珊瑚海海戦の海戦図

★ポートモレスビー攻略「MO作戦」

珊瑚海海戦は、日本海軍の第二段作戦の1つであったポートモレスビー攻略作戦をきっかけに発生した海戦です。ポートモレスビーはニューギニア東部南岸のパプワ湾に面する港湾都市で、日本軍によるポートモレスビー攻略作戦には大きく2つの目的がありました。1つ目は、ニューギニア方面での日本の重要拠点であるラバウルの安全を確保するために戦線を前進させること。そして2つ目の理由が、アメリカとの連絡路を断ってオーストラリアを連合軍から脱落させる米豪遮断作戦の一環でした。1942年4月23日、日本海軍はポートモレスビーやガダルカナル島の北にあるツラギの攻略を目指したMO作戦を発動させます。
MO作戦では、陸軍の南海支隊がポートモレスビーへの上陸作戦を実施する予定となっており、日本海軍の参加部隊はポートモレスビー攻略を行うMO攻略部隊とそれを支援する空母部隊であるMO機動部隊に分かれていました。MO攻略部隊はさらに、重巡4隻や改造空母「祥鳳」を擁し上陸部隊を掩護するMO主隊と、陸軍の乗る輸送船などで構成されるポートモレスビー攻略部隊とに分かれます。MO機動部隊は五航戦の空母「翔鶴」「瑞鶴」を主力とし、敵空母の出現に備えるとともに、攻略作戦の際には、ポートモレスビーの陸上航空兵力に対する航空殲滅戦を実施することも考えられていました。

★日米両軍の参加兵力

<日本軍>
南洋部隊:指揮官 井上成美中将(第四艦隊司令長官)

●MO機動部隊(高木武雄少将)
第五航空戦隊 空母「翔鶴」「瑞鶴」
第五戦隊 重巡「妙高」「羽黒」
第七駆逐隊 「曙」「潮」
第二十七駆逐隊 「有明」「夕暮」「白露」「時雨」

空母「瑞鶴」

●MO攻略部隊(五藤存知少将)
空母「祥鳳」
重巡「青葉」「衣笠」「加古」「古鷹」
軽巡「天龍」「龍田」「夕張」
駆逐艦6隻
敷設艦1隻
特設水上機母艦2隻
輸送船12隻
その他 特設砲艦、掃海艇など

空母「祥鳳」

<アメリカ軍>
第17任務部隊:指揮官 フランク・J・フレッチャー少将
・空母2隻 「レキシントン」「ヨークタウン」
・重巡7隻 「ミネアポリス」「ニューオーリンズ」「ポートランド」「アストリア」「チェスター」「シカゴ」「オーストラリア(豪海軍)」
・軽巡「ホバート(豪海軍)」
・駆逐艦13隻 「フェルプス」「デゥーウィ」「モリス」「ファラガット」「アンダーソン」「エールウィン」「ハンマン」「モナガン」「ラッセル」「パーキンス」「シムス」「ウォーク」「ウォーデン」
・給油艦「ネオショー」「ティペカノー」
・水上機母艦「タンジール」

空母「レキシントン」

★ポートモレスビー攻略作戦発動と珊瑚海海戦勃発

5月3日、ツラギ攻略の成功を受けて予定通りポートモレスビー攻略作戦を発動させました。暗号解読により日本軍の攻撃を察知していた連合軍も、重要な米豪の連絡線を守るため、空母「レキシントン」「ヨークタウン」を中核として第17任務部隊を珊瑚海に派遣しました。「ヨークタウン」は5月4日にツラギへの空襲を実施し、このときツラギから発進した日本軍の飛行艇が米空母を発見したため、日本側も米空母部隊の出撃を知ることとなります。しかし、日本軍はこの後米空母の位置を見失ってしまいました。珊瑚海に進出すれば敵空母からの攻撃が予測されたため、5月7日早朝から、MO機動部隊とMO攻略部隊は第17任務部隊を捕捉するための索敵機を飛ばします。このとき、MO機動部隊では12機の九七式艦攻を2機ずつのペアにした6本の索敵線によって索敵を実施しており、この海戦以外では見られない珍しい索敵法がとられました。MO機動部隊では敵艦隊が南にいると考え、南方を重視した索敵を行っており、午前5時30分頃には「敵航空部隊見ユ」の報告がもたらされます。

空母「ヨークタウン」
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