★空母「隼鷹」のガ島空襲
日本陸軍による総攻撃開始の翌日である10月25日午前11時35分、空母「隼鷹」は前進部隊とともにガダルカナル島の北北東の海域へと進出すると、零戦12機・九九艦爆12機からなる攻撃隊を発進させ、飛行場への空襲を実施しました。攻撃隊はヘンダーソン飛行場の米軍陣地を攻撃して石油タンクなどを炎上させました。南太平洋海戦においてガ島の基地航空隊が不活発だったのは、このときの航空攻撃が成功したためとみられます。「隼鷹」隊による攻撃のおかげで南太平洋海戦での日本機動部隊はミッドウェー海戦のときのように基地航空隊の攻撃に悩まされることもありませんでした。隼鷹は陰ながら日本軍の勝利に貢献していたといえます。
★索敵と第一次攻撃隊発進
翌26日、連合艦隊司令部から「敵艦隊を捕捉撃滅せんとす」の命令を受けた機動部隊は夜明け前から索敵を行い、午前2時15分から前衛部隊、機動部隊本隊の順に索敵機を発艦させました。ミッドウェー海戦で索敵が不十分だった反省から、艦攻13機、水上機7機による入念な二段索敵を実施しています。このとき、日米艦隊の距離は200浬以下まで接近しており、米艦隊でも日本空母の位置を掴むべく索敵機を飛ばしていました。翌10月27日はアメリカの海軍記念日で、重要な日を勝利で飾るべく、米海軍の将兵たちも士気を高めていました。4時50分、空母「翔鶴」の索敵機が、空母を含むアメリカの大艦隊発見を報告してきました。これを受けた機動部隊本隊は5時30分ごろ、「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」の3隻から、艦戦21機・艦爆21機・艦攻20機の第一次攻撃隊62機が出撃します。一方、米軍でもほぼ同じ頃に日本艦隊を発見すると、5時30分にホーネットから艦戦8機・艦爆15機・艦攻6機の第一次攻撃隊29機が、6時にはエンタープライズから艦戦8機・艦爆3機・艦攻8機の第二次攻撃隊19機が発進しました。さらに、6時15分からは第三次攻撃隊としてホーネットから艦戦7機・艦爆9機・艦攻9機の計25機が発艦し、短時間の間に次々と攻撃隊を出撃させています。
★空母「瑞鳳」の被弾
日本機動部隊が第一次攻撃隊を発進させた直後の7時40分、機動部隊本隊は突如として米艦爆による攻撃を受けることになりました。これは空母エンタープライズを出撃した索敵機のSBDドーントレス2機で、これにより、「瑞鳳」は後部甲板に爆弾1発を被弾。航空機の発着艦が不可能になった「瑞鳳」は、トラックへと引き返すことになりました。こうして、日本機動部隊では海戦がはじまってすぐに空母1隻が戦線を離脱することになったのです。
★第一次攻撃隊 ホーネットへの攻撃
米艦隊へと針路をとっていた日本機動部隊の攻撃隊は途中、ホーネットから飛び立った第一次攻撃、さらにエンタープライズの第二次攻撃隊とすれ違いました。このとき、「瑞鳳」の零戦隊9機が編隊から離れて敵機への攻撃を開始しました。瑞鳳零戦隊は、米軍機の約半数を撃墜しますが、代わりに機銃弾をほぼ撃ち尽くしたために帰投を余儀なくされます。これによって味方艦隊の被害を抑えることができた反面、第一次攻撃隊の零戦隊は敵艦隊上空での護衛空中戦において苦戦を強いられることになりました。残りの第一次攻撃隊は6時55分にホーネットを中心とする第17任務部隊を発見します。このとき、エンタープライズの第16任務部隊はスコールに隠れていたため見つけることができませんでした。直前にはホーネットを飛び立った米第三次攻撃隊とすれ違っていますが、お互いに気づいていなかったため交戦はありませんでした。7時10分頃から艦爆隊が急降下を開始し、次に艦攻隊が空母を両側から挟み撃ちする格好で爆弾と魚雷による攻撃を実施しました。250kg爆弾6発と魚雷2発が命中したホーネットは速力を落として航行不能に陥りました。さらに、零戦隊は敵機20機以上の撃墜を報告しています。しかし、米艦隊の激しい対空砲火によって攻撃隊も大きな損害を蒙り、零戦5機、艦爆17機、艦攻16機が失われています。
★米攻撃隊の空襲 「翔鶴」の被弾
米空母攻撃隊はホーネットの第一次攻撃隊のみが日本艦隊を発見し、7時30分ごろから攻撃を開始しました。この攻撃でドーントレス隊が「翔鶴」に爆弾4発を命中させ、航空機の発着艦を不可能にし、「瑞鳳」に続き「翔鶴」も戦線を離脱しました。第一次攻撃隊の一部と第二次、第三次攻撃隊は日本空母を発見することができませんでしたが、代わりに前衛部隊を発見して攻撃を行い、重巡「筑摩」を中破させています。
★日本機動部隊の第二次攻撃 エンタープライズの戦線離脱
日本機動部隊は6時10分から第二次攻撃隊を発進させました。兵装の準備に時間がかかるため、空母ごとに分かれて発艦させ、6時10分の翔鶴隊24機(艦戦5機・艦爆19機)に続き、6時45分に「瑞鶴」隊20機(艦戦4機・艦攻16機)が出撃していきました。7時14分には前進部隊の空母「隼鷹」も29機(艦戦12機・艦爆17機)の攻撃隊を発進させています。第二次攻撃隊は8時20分から空母エンタープライズの第16任務部隊に攻撃を実施し、エンタープライズの甲板に爆弾2発を命中させ、至近弾1発を得ます。さらに、駆逐艦ポーターに魚雷が命中して沈没し、駆逐艦スミスは被弾した艦攻の体当たりによって小破しました。ほかにも、重巡ポートランドに魚雷3発を命中しましたが、これは不発に終わりました。一方、米軍機の対空砲火も熾烈で、攻撃隊は零戦2機・艦爆12機・艦攻10機の被害を出しており、各空母の攻撃隊指揮官も戦死しています。9時20分からは「隼鷹」攻撃隊も米艦隊への攻撃を開始しました。雲に隠れて低空から接近した「隼鷹」攻撃隊ですが、そのため、爆撃の高度が低く、敵への損害も小さくなってしまいます。戦艦サウスダコタと軽巡サンファンに損害を与えたものの、エンタープライズには至近弾1発を与えたのみでした。しかし、それまでの被弾により後部エレベーターが使用不能となっていたエンタープライズは日本側の攻撃終了後、戦線を離脱しています。
★空母ホーネット沈没
11時6分から「隼鷹」の第二次攻撃隊15機(艦戦8機・艦攻7機)が発進しました。11時15分には機動部隊本隊で残る1隻の空母となっていた「瑞鶴」から第三次攻撃隊13機(艦戦5機・艦爆2機・爆装艦攻6機)が出撃します。米軍は今回の空母決戦で勝利をおさめるのは難しいと考え、すでに艦隊を撤退させはじめていました。航行不能となっていたホーネットは重巡ノーザンプトンに曳航されており、航空機はエンタープライズに収容されて撤退していたため、上空を守る直掩機もありませんでした。日本攻撃隊は戦場に取り残されたホーネットに次々と襲い掛かり、午後1時10分から「隼鷹」攻撃隊の空襲により魚雷1本が命中し、1時25分からは「瑞鶴」攻撃隊により爆弾1発を命中させました。ホーネットはすでに速度が10ノットにまで低下して艦は大きく傾斜しており、逃げ切るのは不可能との判断から総員退艦が決定されます。1時33分には「隼鷹」から第三次攻撃隊10機(艦戦6機・艦爆4機)が飛び立ち、3時10分、漂流していたホーネットに爆弾1発を命中させました。これが南太平洋海戦における日本機動部隊最後の攻撃となりました。4時ごろ、ホーネットが放棄されているとの情報を得た日本海軍は貴重な空母を鹵獲するチャンスと考え現場へ向かいますが、あまりの火災の激しさに曳航は不可能と判断し、駆逐艦「秋雲」「巻雲」が雷撃によりホーネットを撃沈しました。これは太平洋戦争において日本駆逐艦が米空母を撃沈した唯一のケースとなっています。何度も空襲を受けながら沈まなかったホーネットは、米空母がもっていた頑丈さを存分に発揮し、太平洋戦争においても屈指の損害に耐えたと空母といえます。
★大きな損害の上に成り立つ勝利
南太平洋海戦はホーネットを撃沈した日本海軍が戦術的に勝利したといえる戦いでした。米海軍は稼働空母がゼロになり、翌27日は史上最悪の海軍記念日と呼ばれました。日本海軍はこの海戦でミッドウェーの雪辱を晴らすことができたと考えましたが、勝利と引き換えに失ったものも大きく、特に航空機・パイロットの損失は深刻なものとなりました。航空機の損失は米側が80機に対して日本側が92機、搭乗員の損失は米側がわずか16人に対して日本側は68人を失っています。日本海軍は南太平洋海戦で優秀な搭乗員を使い潰してしまった形となり、以後、ソロモン方面での積極的な作戦実施は難しくなります。米空母部隊に打撃を与えたにもかかわらず、機動部隊の後退によって逆に米軍のガ島への補給を好転させる結果を生み、第二師団の飛行場への総攻撃も失敗に終わっています。そのため、戦略的にはアメリカの勝利だったとみることもできます。この後、南太平洋海戦を大勝利と信じた日本軍はガ島奪還の方針にこだわり続け、さらなる消耗戦へと突き進んでいくことになりました。