南太平洋海戦/米海軍の稼働空母を0に!日本海軍機動部隊最後の「勝利」?

南太平洋海戦は1942年10月26日に起きた日米海軍の空母機動部隊同士による海戦です。連合軍側ではサンタ・クルーズ諸島海戦と呼ばれ、ガダルカナル島を巡る攻防戦が続く中、日本陸軍の総攻撃に伴って発生しました。南太平洋海戦は両軍が何度も攻撃隊を繰り出す激しい航空戦になりました。日本海軍は米空母ホーネットを撃沈して戦術的に勝利をおさめますが、代わりに多くの優秀な搭乗員を失うこととなりました。南太平洋海戦は日本空母機動部隊にとって最後の勝利になりました。

空襲を受ける米艦隊

★日本軍の10月攻勢 第二師団の総攻撃

 1942年8月7日、ウォッチタワー作戦を発動した米軍は日本軍が飛行場建設を行っていたガダルカナル島に上陸を開始します。戦力に劣る日本軍はジャングルの中に逃げ込み、完成したばかりの飛行場は敵の手に落ちることとなりました。日本軍は一木支隊、次に川口支隊を送り込み、ガ島の奪還を試みますが、いずれも米軍の強力な陣地を前に失敗に終わります。さらに、8月に発生した日米の空母対決である第二次ソロモン海戦で日本海軍は貴重な空母「龍驤」を失うことになりました。ガ島の戦いでは、ヘンダーソン飛行場を有する米軍を相手に日本軍は航空優勢をとることができず、兵員・物資の海上輸送において不利な状況に立たされていました。それでも日本軍はガ島奪還を諦めておらず、新たに第二師団を送り込むことを決定します。ヘンダーソン飛行場への戦艦による砲撃実施などにより、なんとか第二師団主力と物資の8割を揚陸することに成功し、10月24日から26日にかけて10月攻勢と呼ばれる飛行場への総攻撃が実施されました。

ガダルカナル島に上陸する米軍

★日米機動部隊の進出

 第二師団の総攻撃に呼応して、日本海軍の機動部隊と前進部隊は10月11日にトラック島を出撃し、ソロモン諸島東方の海域へと進出しました。しかし、輸送作戦は思うように進まず、総攻撃は幾度も延期されたため、機動部隊は南下と北上を繰り返すことになります。一方、第二師団の揚陸を見た米軍はガ島防衛に危機感を覚え、ソロモン方面への空母部隊の派遣を決めました。当時、太平洋方面における米海軍の稼働空母は唯一「ホーネット」のみでした。しかし、チェスター・ニミッツ提督は今度こそガ島を守り切れるかどうかわからないと、かなり深刻な不安をもっており、ホーネットに加えて真珠湾で修理中だった「エンタープライズ」を突貫作業で出撃させました。10月24日、ホーネット基幹の第17任務部隊、エンタープライズ基幹の第16任務部隊および戦艦・巡洋艦からなる第64任務部隊の3つの任務部隊が合流し、日本機動部隊を迎え撃つべくガ島北方の海域へと進出しました。

空母「エンタープライズ」

★南太平洋海戦参加兵力

<日本海軍>

●機動部隊(第3艦隊基幹) 南雲忠一中将

・本隊
空母 翔鶴、瑞鶴、瑞鳳
重巡 熊野
駆逐艦 浜風、照月、嵐、舞風、初風、雪風、天津風、時津風

・前衛部隊
戦艦 比叡、霧島
重巡 鈴谷、利根、筑摩
軽巡 長良
駆逐艦 秋雲、風雲、巻雲、夕雲、浦風、磯風、谷風

●前進部隊(第2艦隊基幹) 近藤信竹中将

空母 隼鷹
戦艦 金剛、榛名
重巡 愛宕、高雄、妙高、摩耶
軽巡 五十鈴
駆逐艦 黒潮、親潮、早潮、海風、涼風、江風、長波、巻波、高波

空母「瑞鶴」

<アメリカ海軍>

●第16任務部隊 トーマス・キンケイド少将

空母 エンタープライズ
戦艦 サウスダコタ
重巡 ポートランド
軽巡 サンファン
駆逐艦 マハン、カッシング、ポーター、スミス、プレストン、モーレー、ショー、カニンガム

●第17任務部隊 ジョージ・マレイ少将

空母 ホーネット
重巡 ノーザンプトン、ペンサコラ
軽巡 サンディエゴ、ジュノー
駆逐艦 モーリス、アンダーセン、ヒューズ、マスティン、ラッセル、バートン

●第64任務部隊 ウィリス・リー少将

戦艦 ワシントン
重巡 サンフランシスコ
軽巡 ヘレナ、アトランタ
駆逐艦6隻

空母「ホーネット」
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