イギリスのアンチ・レーダー作戦

(Franck Cabrol
commons.wikimedia.org/wiki/File:Ray_Flying_Legends_2005-1.jpg)

★電気仕掛けの目

 第二次世界大戦中に実用化された電波探信儀、すなわちレーダーは絶大な効果を発揮しました。1940年のバトル・オブ・ブリテンでは「チェイン・ホーム」と総称されたレーダー群と中央情報処理システムをフル活用した英軍が勝利を収め、太平洋方面では1944年6月のマリアナ沖海戦でレーダー搭載艦によるピケット網を確立した米軍が、襲来する日本軍機を片端から撃ち落とすといった光景が展開されました。
 レーダーの基本原理は放出した電波がなにかしらの物体に反射して戻ってきたのを受信、物体の方向、距離、高度を測定するというものです。原理は単純ですが、実用段階までに多くの技術的ハードルをクリアしなければなりません。米英に後れを取った枢軸国も独自のレーダーを開発、配備するようになると、空中戦は航空機の性能やパイロットの技量のみならず、国力とテクノロジーがぶつかり合う戦場に変容したのでした。

ロンドンに設置された空軍指令室

★高度な“目くらまし”

 レーダー開発に並行して、敵のレーダーを無力化する方法も研究され始めます。最も早く完成させたのはイギリスで、レーダー波を反射させる金属片をバラ撒く、すなわち「チャフ」の基礎理論を1937年に完成させました。史上初の実用レーダーが完成したのが1935年であることを踏まえると異例の早さと言えるでしょう。
 1942年、電気通信研究財団の女性研究員、ジョーン・エリザベス・カランが適切な大きさに加工したアルミ片を航空機から散布するという現在のチャフを実用化しました。10.63インチ×0.79インチの大きさに切ったスズ箔を使用したこのチャフは「ウィンドウ」と名付けられ、1943年7月に開始されたハンブルク空襲で初陣を迎えます。第76飛行隊に極秘装備として配備されたウィンドウは絶大な効果を発揮し、7月24日に投入された爆撃機791機の内、損害は12機とドイツの防空網を一時的に無力化するといった戦果を挙げました。ドイツの科学者達は夜空にぶち撒けられた金属片がなんであるか即座に理解しました。彼らもまた、同様の研究を行っていたからです。これを皮切りに、英独は互いにレーダー欺瞞と、妨害に対抗できる新型レーダーを開発しあうイタチごっこに突入します。

「ウィンドウ」によって攪乱されたドイツ軍のウルツブルク・レーダーのスコープ

★ドイツのアンチ・レーダー・カウンター

 「ウィンドウ」の原理及び運用を察知したドイツはレーダーに映るノイズが敵機か、それとも「ウィンドウ」による幻影かを見分ける必要に迫られます。チャフの原理そのものは簡単ですが、それを判別するとなるとそう簡単にはいきません。そこでドイツの科学者たちは「ドップラー効果」に着目しました。航空機などの高速で移動する目標にレーダー波を照射するとドップラー効果が発生し、受信機に返ってくる波長が長くなったり短くなったりと大幅な変動をみせます。対して、風に吹かれて舞い落ちるだけの「ウィンドウ」にはそれがありません。つまり、ドップラー効果を伴う反応のみが本物の敵機ということです。
 大戦後期にドイツの開発した識別装置「クラウス(K-Laus)」は200ヘルツから700ヘルツ間のドップラーを探知し、それを持たない反応を自動的にカットするシステムを備えていました。これはドイツの開発した対レーダー作戦へのカウンターで最も成功を収めたものとされています。1945年1月までに1000基のクラウスが製造されたと言われていますが、あまりに遅く、あまりに少なく、あまりに複雑なものでした。この他、ウルツブルク・リーゼ用の拡張アタッチメントである「グスタフ」、フレイア・レーダー用の「フレイア・ラウス」など、雑多な欺瞞識別装置が存在し、一部は1943年中旬に実用化されたものもありましたが、「ウィンドウ」を完全に無力化することは出来ませんでした。

より改良されたウルツブルクD型レーダー
(Ketelhohn Frankreich, Radargerät “Würzburg”
commons.wikimedia.org/wiki/File:Bundesarchiv_Bild_101I-662-6660-27A,_Frankreich,_Radargerät_”Würzburg”.jpg)

★英国式の“電子絨毯“

 とはいえ、ドイツ側も「ウィンドウ」の存在を認識し、コニカルスキャン機能を搭載したより高性能なウルツブルクDを投入するようになると「ウィンドウ」の妨害効果は完璧とは言えなくなりました。1944年7月におけるRAFボマーコマンドの損失は前月の2.55%から倍の5.5%まで増加しています。これはドイツ側の新型レーダーと、それらと連動した対空砲が大きな脅威であったことの証左です。
イギリスはこれに対抗すべく、「カーペット」と呼ばれる電子妨害装置を開発しました。特定の周波数に反応する妨害電波と無差別に影響する妨害電波を連動して放出するシステムで、「ウィンドウ」が”目くらまし”ならば「カーペット」は”目潰し”とでも言うべきものです。ウルツブルクの周波数に対応したノイズ変調ブロードバンド信号を放出することでレーダーを無力化するという方式は現代のジャミングの原点と言えるものでした。
 コンバットボックス一つにつき2~3機の電子戦仕様に改造されたランカスター重爆が配備されるようになると、損害率は平均0.08%と大幅な低下をみせました。ドイツはこれに対し周波数帯を広げ、ノイズキャンセラーの高性能化に取り組みましたが逼迫する戦局の中では思うようにいかず、「カーペット」に対する効果的なカウンターはついに現れませんでした。英国製の電子絨毯はドイツの空を覆い、封じ込めることに成功したのです。

イギリスにより制作された「カーペット」システムの図解 (Source- www.cdvandt.org/rcm_vs_wurzburg.htm)

★まとめ

 現代戦において電子戦は最も重要な役割を占めていると言っても過言ではありません。1991年の湾岸戦争では電子的、物理的攻撃をもってイラク軍のレーダー網を早期に崩壊させた多国籍軍が終始イニシアチブを取り、2020年のナゴルノ・カラバフ紛争では無人機と電子妨害による攻防が展開されるなど、その影響力は日増しに大きくなっています。第二次世界大戦中に英独で繰り広げられたレーダー戦はそれらの原点の一つと言えるものではないでしょうか。

≪参考文献≫
古峰文三『航空戦史』(イカロス出版、2020)
鈴木五郎『アブロ・ランカスター爆撃機』(光人社FN文庫、2006)
・http://www.radarworld.org/radarwar.pdf
・https://www.cdvandt.org/rcm_vs_wurzburg.htm

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