義烈空挺隊/敵地に強行着陸!戦争末期の壮絶な戦い

義烈空挺隊は、太平洋戦争中に米軍飛行場を攻撃するため、日本軍の空挺部隊によって編成された部隊です。彼らの任務は、輸送機に乗り込んで敵飛行場に強行着陸し、航空機や基地施設の破壊活動を行うもので、生還の望みはほとんどない特攻作戦でした。太平洋戦争末期の1945年5月、米軍に占領された沖縄の飛行場を目標に攻撃を行った義烈空挺隊は、敵を一時的な大混乱に陥れたものの、その後全滅しています。一見無謀にも見える飛行場への斬り込み部隊、義烈空挺隊は、どのように生まれ、どのように戦ったのでしょうか。

義烈空挺隊強行着陸時の読谷飛行場

★もともとの目標はサイパン島だった

 もともと、義烈空挺隊の攻撃目標として考えられていたのは、沖縄ではなくサイパン島でした。1944年7月、マリアナ諸島サイパン島が陥落し、この島を拠点にした米軍のB-29爆撃機による、日本本土空襲が開始されることになります。日本軍もサイパン島への爆撃を行いますが、思うような成果は上がらず、航空攻撃だけで本土空襲を阻止するには限界がありました。そこで、B-29基地を徹底的に破壊する方法として考え出されたのが、精鋭の空挺部隊を輸送機に乗せてサイパン島に強行着陸させ、敵飛行場や航空機の破壊活動を実施する作戦です。作戦遂行後、兵士たちはサイパンのジャングルに逃げ込み、ゲリラ戦を行うことになっていましたが、補給もないまま戦闘を継続するのは困難で、全滅するのは目に見えていました。そのため、この作戦は当初から生還の見込みのほとんどない特攻作戦と考えられていたのです。

日本軍の空襲で破壊されたサイパンの飛行場

★義烈空挺隊の誕生

 こうして生まれたのが義烈空挺隊です。義烈空挺隊は、日本陸軍の空挺部隊を中心に構成されていました。空挺とは「空中挺進」を略した言葉で、空挺部隊とは本来、パラシュートを使って敵地に降下する部隊です。その性格上、任務に大きな危険が伴う空挺部隊は、兵士1人1人に高い能力を要求されるため、日本だけでなくどの国の軍隊でもエリート部隊とされています。日本陸軍の空挺部隊も、太平洋戦争緒戦におけるインドネシアのパレンバン油田占領で大きく活躍し、空の神兵と讃えられた精鋭部隊でした。義烈空挺隊は第一挺進団の挺進第一連隊第四中隊の人員を中心に編成され、中隊を率いる奥山道郎大尉が隊長を務めました。第四中隊はもともと連隊のなかでも工兵部隊として訓練を受けていたため、奥山大尉をはじめ工兵出身者が多く、破壊工作には適任と考えられたのです。隊名は最初「神兵皇隊(しんぺいすめらたい)」と名付けられ、後から「義烈空挺隊」に改名されています。

義烈空挺隊員
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