ろ号作戦/戦果誤認に踊らされ…航空戦力を消耗

「ろ号作戦」は1943年11月に日本海軍によって実施された、ニューギニア・ソロモン方面での航空作戦です。東部ニューギニアやソロモン諸島ブーゲンビル島の連合軍艦船への攻撃が行われ、作戦中には連合軍のタロキナ上陸に伴い、ブーゲンビル島沖航空戦も発生しました。「ろ号作戦」には、基地航空隊・空母航空隊あわせて300機以上の航空機が投入されました。空母・戦艦の撃沈する大戦果が報じられたこともありますが、実際には連合軍への損害は少なく、逆に日本側は甚大な被害を蒙り、航空戦力を消耗させる結果となりました。

1943年秋のソロモン・ニューギニア方面の状況

★悪化するソロモン・ニューギニアの戦況

 1942年8月のガダルカナル島への米軍上陸により幕を開けたソロモン諸島の戦いは、日本軍の劣勢となり、1943年2月にはガ島からの撤退が行われました。さらに、9月にはニュージョージア島、コロンバンガラ島、10月にはベララベラ島からの撤退も実施され、日本軍は中部ソロモンの拠点を失うことになります。1943年1月からは東部ニューギニアに対する連合軍の進攻もはじまり、日本軍の拠点であったラエ、サラモアが陥落して、こちらでも戦況は悪化していきました。東部ニューギニア、ソロモン諸島が連合軍の手に落ちれば、ラバウルが孤立し、さらには南東方面の日本軍が総崩れになることも考えられました。

搭乗員に訓示を行う山本五十六長官

★い号作戦

 連合軍の激しい反攻作戦に対して、戦局を挽回することを目指す日本軍は、航空機の集中運用による反撃作戦「い号作戦」を計画しました。ガ島を巡る戦いで消耗の激しかった基地航空隊の穴を埋めるため、空母航空隊の投入も決定されます。1943年4月から実施された「い号作戦」には、350機以上の航空機が投入され、山元五十六連合艦隊司令長官自らが指揮を執る乾坤一擲の航空撃滅戦となりました。ガ島やポートモレスビー、ニューギニア方面への攻撃が行われ、日本海軍は「い号作戦」がそれなりの成功をおさめたと判断していました。しかし、「い号作戦」には、アメリカ軍の侵攻スケジュールを遅らせて時間を稼ぐ効果はあったものの、搭乗員の質の低下もあって日本側が期待したほどの戦果は上がっていませんでした。さらに、作戦後に前線視察を行った山本長官は、暗号解読により待ち伏せていた米軍機の襲撃を受けて死亡しています。

撃墜された山本長官の搭乗機

★ろ号作戦

 「い号作戦」実施後もソロモン・ニューギニアの戦況は変わらず悪化していくばかりでした。そこで、日本海軍では「い号作戦」に続く、大規模な航空撃滅戦として「ろ号作戦」を計画します。当初、「ろ号作戦」の主目標は戦局悪化が著しい東部ニューギニアとされていました。しかし、作戦途中に米軍がブーゲンビル島タロキナへ上陸を開始したため、目標を変更し、ブーゲンビル島沖航空戦が発生することになります。「ろ号作戦」は、基地航空隊だけでは戦力不足と判断されたため、「い号作戦」同様に空母航空隊もの投入も決定されました。しかし、空母への発着艦を行える搭乗員を育成するには時間がかかるため、空母航空隊を使うことに対しては海軍内に強い反対意見もありました。また、海軍では絶対国防圏の策定に伴い、第三段作戦として太平洋を攻めてくる米艦隊の撃滅を目指すZ作戦要領を定めていましたが、ニューギニア方面へ戦力を向ける「ろ号作戦」はこの内容からも外れたものといえました。

タロキナへの上陸命令を待つ米軍
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